2006年04月05日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜11

カワムラです。

傷病歴その11は、まだまだ13歳。
昭和53年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ11】
生後156ヶ月ごろ→左膝脱臼・激痛編
…………………………………………………………………………




脱臼、それはながーいお友達。
かの大横綱、千代の富士も肩を脱臼。
先日見ていたら、ダンスの大会で
オリエンタルラジオのめがね君も、肩を脱臼。
なんとかっていう柔道選手は、
オリンピックの試合中に、ひじを脱臼。


……嗚呼、脱臼。




脱臼は予後が大事です。
大事にしたからって完治はしませんが。




……ちょっとカワムラ、ぐれています。
脱臼のことを思い出すと、
ヤンキーねーちゃん化する私です。


喧嘩上等!
夜露死苦!






というわけで本題です。




チェーンソーでもって、ギブス切断。
久しぶりに出会った生足は、
上から下まで棒状態でした。


サリーちゃん、がいたら
「まはりくまたりた、それーっ!」って治してくれたかもしれませんが、
カワムラは曲がるまで1ヶ月かかりました。



そのころの私は、
アルプスの少女ハイジのクララの気持ちでございました。



「もうだめよ! できないっ!」
「ううん、もういっかいがんばるわっ!」
「待ってハイジ〜!」



母は、精一杯のサポートをしてくれました。
「牛乳飲みなさい!」



だから、母。
私は骨折ではありません。
脱臼です。
脱臼とは、骨が外れることです。
骨の丈夫さは、あまり関係ないと思われます……。




とまあ、家族のあさってな励ましとともに、
自力でリハビリしました。



病院からなんの指示もありません。
あ、ひとつだけありました。



「ちょっとずつね、ちょっとずつ」



言われなくても、ちょっとずつしかできません!!!




風呂で足をのばす運動。
歩きながら、引きずらないで曲げるようにがんばる運動。
何も無くても、ともかく曲げる運動。




果たして1ヶ月。
なんとか足は曲がりました。




はい?
曲がるまで、どのくらい痛かったかですって?
いなかっぺ大将の大ちゃんの大粒涙くらい
と申し上げておきましょう。





そして、その後。
カワムラは幾度も脱臼を体験します。



13歳、15歳、16歳、17歳、21歳、25歳、26歳、28歳、33歳……。
ざっと思い出しても、このくらいはありました。



今後もきっと、何度も経験することでしょう。



脱臼上等!
夜露死苦!




……それでは皆様、御身御大事に。


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2006年03月29日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜10

カワムラです。

傷病歴その10は、同じく13歳。
昭和53年ごろでございます。


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【カルテ10】
生後156ヶ月ごろ→左膝脱臼・激痛編
…………………………………………………………………………



体育の時間、左膝を脱臼した河村。
脱臼した足はギブスで固定し、1ヶ月経過。
チェーンソーで切り開き、河村は自分の生足を1ヶ月ぶりにみました。



その膝は太ももと同じ太さにまで
見事に腫上がっていました。




医師は看護士に伝えます。
水抜きセットねー」



なんじゃそりゃ????



ソラマメの形をしたステンレスの深皿、
そしてその上には消毒液とガーゼ、
見たこともない太さの針。


水抜きセットを受け取った医師は、
看護士に目配りしました。



看護士は「うん」とうなづき、
河村の膝より上に一人、
膝より下にもう一人、
両手に全体重をかけて河村を拘束しました。



な、なに???


はーい、じゃあいくよー



え?



しゅわっとした消毒液の感触。
膝の内側は消毒されました。




それ!



☆☆☆!




医師は気合とともに、
爪楊枝より太い針を河村の膝にグリグリグリ……。





せ、せんせい!
そこには筋が!




せ、せんせいーーーーーーーーーーーーー!
ま、麻酔ないのおおお????





ぼっこりと、河村の膝に穴が開きました。
そこからは当然のごとく、
血が流れています。




じゃあ出そう




な、なにを?



医師は膝の上の部分から
手のひらをぐーーーーーーーーーーーっと押し当てて、
下へとずらしていきます。



膨らんでいた河村の膝は、
しゅるるとふくらみを失っていき、
その代わり空いた穴からピンク色の液体が流れ出ました。



これが、いわゆる「水」です。



このときには痛みはありません。
だらだらと流れ出る水と、
その水を出している穴に、
ただただ衝撃を受けるばかり。




おー出たねえ




ええ、でましたとも。
何ccかは知りませんが、
医師が感心するほど出ました。



イソジンか何かをぺたぺた塗って、
バンソコウをぴとっと貼り、
治療完了。




「ありがとうございました……」



ベッドから降りようとした河村。
しかし左膝が曲がりません




「あ? あーっ!」


ああ、膝が固まったのよ。
 お風呂でもみほぐしてねー




は、はい……。





河村は左足を引きずりつつ、診察室を後にしようとしたとき。






あ、また水はたまるから



はい〜?





「一週間後、また水抜くから来てねー」



はい……。






診察室の外には、母がいました。



母よ。
確か一緒に診察室に入ったよね?




だってー、怖いじゃない〜



怖かったよ。




ね、痛い、痛い? どのくらい痛い?





う、うるさいわっ!





激痛編、まだまだまだ続きます。



……それでは皆様、御身御大事に。


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2006年03月22日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜9

カワムラです。

傷病歴その9は、13歳。
昭和53年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ7】
生後156ヶ月ごろ→左膝脱臼・治療編
…………………………………………………………………………



最初に申し上げます。
皆様ご存知だと思いますが、
そのままでは脱臼は完治なし。
……と言われています。



ゆるんだ関節付近の筋肉やら、
削れてしまった関節の骨やら、
手術でビスを入れて外れないようにするしかないと、
医者に言われました。


今を去ること20数年前の話なので、
今の治療法は知りませんけれど……。



で、河村が初脱臼したのは、
12歳のとき。



小学校の校庭から、体操着のままかつぎ込まれた整形外科。
当時は他に整形外科病院がなかったためか、
連日長蛇の列がとぐろを巻く状態でした。



そこの玄関から、手荒な看護士さんとあわてんぼうの男先生に
両脇から支えられ、階段を引きずられるカワムラ。


バリアフリーなんていう発想のない田舎病院は、
治療室に着くまで階段に次ぐ階段です。



けが人になれた看護士さんは、
「痛いものは痛い! 
ぐだぐだ言わない!」
と、
カワムラが泣き言を言う前から訓令。



ええ、ぐだぐだ言いませんでしたとも。
あまりの痛さに、声も出ません。



さて。
治療室に着いたカワムラ。
いよいよ治療開始です。



当時50歳くらいでしょうか。
白衣を着た医師が登場しました。



「ほー、脱臼だネエ」



ええ、そうです。



「じゃ、治すから。痛いから」


はあ、そうでしょうね。




「いくよー。がっきん!」



目から光が出ました。
反射的に足をかばいたいと、
急に起き上がろうとしたものですから、
お腹の脇がつりました。




「はーい、元通り。
じゃ、固定するねー」



どうとでもしてください……。



看護師さん、再び登場。
看護師さん、手には白い粘土を入れた容器を持っています。
これは、ギブスの元だったわけですが、
カワムラには何がなんだか分かりません。



医師は私の足を、付け根から足首まで、
ぐるぐる〜ぐるぐる〜と、巻いていきます。
足だけミイラ状態。



そこに、看護師さんが、塗り壁するごとく、
その白い粘りのある液体を塗りつけていきます。



「はーい、固まったら帰っていいよー」


……30分後。固まりました。



「そんじゃね、もう骨は元通りだから」
「はい」
「じゃ、しばらくギブスね」
「どのくらいですか?」
「うーんとね。一ヶ月」
「はい、わかりました」
「一ヵ月後、来てね。ギブス取るから」
「はい」



一ヵ月後まで、カワムラは変わり果てた(?)娘を見て絶叫する母やら、
隙あらばギブスにいたずら書きをしようとする弟やら、
さまざまな人間に囲まれつつすごしました。
その話は割愛。




料理番組のごとく、一ヶ月目は用意されます。



「はーい、じゃあ、ギブスとるねー」


どうやって?
はい、こうやって!
……医師が持っていたのは、13日の金曜日でおなじみの、
チェーンソーの医療版。


音はまさしくジェイソンです。



「ういーーーーーーーん」
……って、先生!



足、足、足足足足足
熱いのはなぜ?????????
ちょっと痛みが走っているのはどうして??????



「はーい、切れたよー」



一ヶ月ぶりに日の目をみたカワムラの足。
チェーンソーの道程が、しっかりその内腿に刻まれていました。



そして医師は、カワムラの足を見て言いました。
「おや、水がたまっているネエ、抜こうか」


え。どうやって?

それはね、こうやって!




というわけで、続きは「激痛編」でお目にかかります。



……それでは皆様、御身御大事に。


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2006年03月15日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜8

カワムラです。

傷病歴その8は、またまた12歳。
昭和52年ごろでございます。



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【カルテ8】
生後114ヶ月ごろ→左膝脱臼・事件勃発編
…………………………………………………………………………



脱臼。
ああ、文字だけでも痛いです。


脱臼。
ああ、この12歳のときを皮切りに、
カワムラは何度、脱臼を繰り返したことでしょうか。



感慨はさておき。



今回は勃発編です。
ことが起こったのは、小学校の校庭でした。



体育の時間、
生徒は交代で馬になって
馬飛びをしておりました。


当時、体育にも自信のあった河村は、
軽々と飛んでおりました。
いい調子です。



すると先生が一言。
「じゃ、今度は着地した足から、すぐ次に飛んでみよう!」


つまり、カモシカのごとく、
飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ……の繰り返しをせよというわけです。

飛んで、ちょこっと歩き、また飛ぶではないと。



課題を与えられると張り切るタイプのカワムラ。
1個目から、順調にピョンピョンしておりました。




馬の列の、中ほどに来たあたり。
視界が急速に傾きました。
馬の果てにあった
手を置く位置をミスったらしく、バランスを崩したのです。


「転ぶー転びたくないー転ぶか!」


……と無理な姿勢に全体重がかかった左膝は、
あっさり自身の組み立てを変えました。


あるべきところから、あってはならない場所へ。


カワムラの左膝は上下の骨が、膝の部分で二つ仲良く並び、
普段の膝の倍の大きさに変形していました。



空前絶後の出来事。
晴天の霹靂。
阿鼻叫喚。



「ほらー、立って!」とのんきな先生。
しばらくして異変に気づき、カワムラの足を除いたとたん、
ダッシュで校舎に向かって走りました。



昔の貴族のような名前の、歌舞伎役者みたいな顔立ちの男先生。
まだ20代、独身だったと思います。


先生は、今度は校舎からダッシュしてこちらに向かっています。
その後ろを、大きなお腹の保健の先生が走っていました。
双子をお腹に抱え、まもなく産休の女先生。
同じく20代。


私の膝小僧もダブルなら、
先生のお腹もダブルだね。

痛みで何かが壊れたのでしょう。
そんなことを考えていましたっけ。



「ぎゃーーーーーーーー
だ、だ、だっきゅうーーーーーーーーーーーーー」



女先生の叫びとともに、私は気絶したようです。



次に目覚めたのは、私を抱き上げた男先生の胸の中。



……お姫様抱っこというのは、
脱臼している人間にとって地獄です。




「せんせーいたいーいたいー」
「我慢して!これから病院行くから!」
「でもいたいー、おろしてー、足がもげるー」
「もげない、もげない。脱臼なんだから」
「……あ、そうか」


痛みの中にも屁理屈に納得するカワムラ。



その後、先生の車に乗って、隣町の整形外科に向かったのでした。
ええ、同じ町内には内科小児科しかなかったのです。
だからなんでしょうか、私が救急車で運ばれなかったのは?




ともかく。
カワムラの脱臼人生は始まりました。
次は「治療編」でお目にかかります。



……それでは皆様、御身御大事に。


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2006年03月08日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜7

カワムラです。

傷病歴その7は、12歳。
昭和52年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ7】
生後114ヶ月ごろ→神経性脱毛症
…………………………………………………………………………


いわゆる円形ハゲというやつです。

カワムラは思春期の入り口に立ち、
何もかもに神経質になっていました。

当時、カワムラは勉強が好きな子供でした。
教科書はもちろんのこと、
百科事典を濫読していました。
かのホリエモンと同じだったりします。


田舎の小学生というのは、読む本に飢えています。
小学校の図書室など、たかが知れています。
そしてカワムラの生まれた町には、本屋というものがありませんでした。
当時のカワムラのあこがれの言葉は「神保町」。
察してやってください。


趣味、勉強。
そして読書。
カワムラの小学6年生時代は、ひたすらにまじめでした。
今とは大違いです。

さて。
そんなカワムラに障壁が現れます。
それは、身近な幼友達でした。


「カワムラは、付属の中学に行くんでしょ?」

付属とは、まるまる大学付属中学というやつです。
いわゆる田舎エリートの登竜門ですね。


カワムラにそんな気は、サラサラありません。
遠いし、めんどくさいし、どうだってよかったのです。


しかし、友達達は信じません。
「またまたー絶対行くよ」

その理由は?
「えーだって。いくと思う。勉強好きだし」

だからさ、それが何か?
「ねえねえ、行くんでしょ? うちのお母さんもそう言っていたよ」

あのね、あんたのかーちゃんっていったい。
「だからさー、私にだけは教えてよー」

だから何を?


ただでさえ神経質な思春期のカワムラ。
毎日、幾人もの人からの問いかけに、頭をかきむしっていました。


田舎って言うのは、話題が少ないんです。
ましてや、たかだか21名ほどの同級生とその母親、
都合42名の共通の話題なんて、皆無に近い。
そこに沸いて出た、カワムラ付属中学進学騒動。
あっちでコソコソ、こっちでニヤニヤ。
あーうぜーってガン飛ばせって話は、
百科事典には載っていませんでしたし。


勉強したい、本も読みたい。
しかしそれをすればするほど、心無い噂話は広がり続ける。
挙句に、他県に引っ越して進学する話まで、
まことしやかに流れ始めました。

カワムラは頭をかきむしり続け、
少しずつ髪の毛が減っていきました。
ある日気づくと、左耳の後ろに、
名刺大程度のハゲができていたのです。


最初に気づいたのは母。
すぐにバスを乗り継いで、二人で街中の皮膚科に行きました。
光線治療とホルモン剤の投与。
毎週来いといわれ、カワムラはバスで1時間半かけて、
その皮膚科に通いました。


くしくもその皮膚科は、付属中学に隣接する場所にありました。
カワムラが「こんなしちめんどくさい場所の学校、死んでも行くかっ!」と
改めて固く誓ったのは言うまでもありません。


かくて3ヶ月。
カワムラの髪は、ちょぼちょぼと生え始めました。


やっと卒業式には間に合いました。



それにしても、恐るべき田舎の噂話。
カワムラは高校卒業後、東京に住み始めたとき、
その無関心な空気に心から深呼吸したのでした。



……それでは皆様、御身御大事に。


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2006年03月01日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜6

カワムラです。

傷病歴その6は、9歳。
昭和49年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ6】
生後108ヶ月ごろ→仮病
…………………………………………………………………………

仮病。
詐病ともいいますね。

小学校生活にもなれたころ、
私は仮病を使うことが趣味でした。


「お母さん、お腹痛い」
「気のせいよ」
「お母さん、頭痛い」
「平熱だから学校行きなさい」
「お母さん」
「いいから学校行きなさい!」

飽きもせず、こんな会話が毎朝のように繰り返されました。


私は学校が嫌いでした。
行けばそれなりに楽しいのですが、
なんだかだるいのです。
朝、「学校に行きたい!」と思えないのでした。


そして私は、小さな風邪をよく引く子供でもありました。
風邪というのは、少々引く程度でしたら、
よいバカンスになります。

なんどかそんなバカンス体験を積むうちに、
あーあ、学校休みたい
そんな気持ちが常にわくようになったのでしょう。



「いーから学校行けばいいの!」

母の怒号が消えたのは、いつだったでしょうか。


思い出すに、私が一人で病院に行けるようになってからでしょう。
私が痛い、かゆいを言う度に、母はさめた声で言うようになったのです。


「あーそう。じゃあ病院に行きなさい」


最初のうちは、病院に行っては「そんなにだるいなら、家で寝ていなさい」
なんていう理想的な回答を手にし、
スキップしながら帰宅していました。


しかし医者もプロです。
「あー、この程度なら、遊んでいるうちに治るよ」
となります。
当たり前ですね、もともと仮病なんですから。



結局私は、家でも病院でも
「いーから学校行きなさい!」と言われることに辟易し、
仮病を使うことをやめたのでした。



果たして、そんな小学生だったカワムラが、
現在小学生の娘を育てながら思うこと。



「ともかく子供は学校に行けばいいのよ!」

あのころの母は自宅で和裁の内職をしていました。
カワムラも今、自宅をメインに仕事をしています。



母上様。その節は大変ご面倒をおかけいたしました。





……それでは母を含め皆様、御身御大事に。


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2006年02月22日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜5

カワムラです。

傷病歴その5は、8歳。
昭和48年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ5】
生後96ヶ月ごろ→癇癪症
…………………………………………………………………………

癇癪症、なんて言葉が存在するかどうか知りません。
ただ、あのころの私は、感謝苦笑もとい
「癇癪症」という言葉がぴったりの、
毎日毎日、怒りまくっている子供でした。

道を歩けば、転がっている石にむかつき、
学校に行けば、鼻水たらした男子に舌打ちし、
授業を受ければ、「もう知ってる」とむくれ、
友達が無邪気に遊ぶと「子供はいいわよね」と斜に構え、
家では弟を暴力と苦言で泣かせ続けました。


まー、よくもそこまで怒るネタがあったもんだと、
今思えば、あきれる限りです。


そのせいでしょうか。
今はめったなことでは怒りません。
毎日娘どもを怒鳴っていることはおいといて公言します!




え?
その癇癪症が治ったのはなぜ?……ですか?





そうですね。
自分でもわかりません。

たぶん、一生分の怒りのほとんどを、
この時期に使い果たしたのでしょう。



ちなみに、私の姪っ子は現在5歳。
保育園で癇癪症を爆発させ、
嫁は毎日のように保育師の先生に頭を下げているとか。



「大丈夫よ、35過ぎたら、少しは丸くなるから」とアドバイスしたところ、

「あと30年ですね、は・は・は

と乾いた笑いをしておりました。


……それでは嫁を含め皆様、御身御大事に。



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2006年02月15日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜4

カワムラです。

傷病歴その4は、7歳。
昭和47年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ4】
生後84ヶ月ごろ→給食恐怖症
…………………………………………………………………………

さて、カワムラはそのころ、小学校1年生。
田舎の小学校で、ピカピカしておりました。
給食の時間以外は。

カワムラは、信じられないことに、
非常に食の細い子供でした。

あだ名が「エンピツ」という具合でして、
なぜその体質が今も続いていないのか、
誰を恨んでいいのかも分からないほどでございます。


ともかく、食べるの嫌い。
好き嫌いは無いけれど、食べること自体がイヤ。


ふだん、学級委員長としてクラスを恐怖政治で仕切っていたカワムラの
アキレスのかかとが給食だったのです。


そのころの給食というのは
残すの厳禁。食べ終わるまで、ひたすら食べろ。




よってカワムラは、
6時間目まで食べていました。
教科書を広げながら。


今の子供は、給食を残してもいいそうですね。
隔世の感を覚えます。



毎日給食の時間が来ると、
カワムラはため息をつきます。
先生もため息をついています。


しかし食べねばならぬ。
ならぬったらならぬ。

先生は指導熱で燃え上がり、
カワムラはイヤさ加減に青く沈む。


こんな日々がどのくらい続いたでしょうか。
ともかく、2年生くらいまでは確実にそうでした。



なのになぜ?
今は食べるの大好きなの?
ねえ、私。
いったいいつから??
ねえねえ。




問うても答える人はいない今日この頃。
当時の担任の執念としか思えません。





……それでは皆様、御身御大事に。



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2006年02月08日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜3

カワムラです。

傷病歴その3は、4歳。
昭和45年ごろでございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ3】
生後48ヶ月ごろ→登園拒否
…………………………………………………………………………

ともかく、冬でした。
カワムラは風邪を引き、そりゃあ大変にこじらせて、
約1ヶ月ほど、保育園をお休みしました。

私はもともと、保育園というものが嫌いでした。
なぜって、
うるせー男子
はいるし、
お寺のお膝元にあったので
悪さをすると御堂に閉じ込められるし
遠いし。

行けば行ったで、それなりに楽しいのですが、
行かないほうがより楽しい。
そんな4歳児でございました。

ですからカワムラにとって風邪は、
苦しいながらも保育園をおおっぴらに休める
神様がくれたヴァケーション
状態だったわけです。

しかしヴァケーションは続かない。
上げ膳据え膳の楽園生活も、
解熱とともに終わりとなりました。


果たして、登園となったある朝。
カワムラは母に言いました。


「保育園辞めます」



母は言いました。


「馬鹿」


それでもカワムラは言いました。
涙をためていいました。


「保育園や〜〜〜だあ〜〜〜〜!!!」


同時に母の拳骨が頭上部を直撃。
軽い眩暈をともに、カワムラの幼いからだは、
その意志に反し、母の引っ張るほうへと動き出したわけです。
すなわち、保育園の方向に。


割れんばかりの泣き声を響かせつつ、
田舎道を引きづられ、保育園へと近づくカワムラ。


保育園の門には、保母さんがニコヤカにお出迎えです。
「はーい、おあずかりします、がちゃん!」
門は無常にも閉められました。
その直後、カワムラが見たものは、
初めて目にした
母のアッカンベー


というわけで、カワムラの登園拒否は、
大人の圧倒的な筋力と高圧的なアッカンベーとともに、
完治せざるを得なくなった次第です。


……それでは皆様、御身御大事に。







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2006年02月01日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜2

カワムラです。

傷病歴その2は、カワムラの生後6ヶ月、昭和41年でございます。


…………………………………………………………………………
【カルテ2】
生後6ヶ月→脱水状態で瀕死
…………………………………………………………………………


ばぶばぶ赤ちゃんのカワムラ。
生後1ヶ月の餓死寸前から一転、
あっという間にモスラの幼虫とみまごうばかりに、
ぷりぷり赤ちゃんになっておりました。

しかし、コンコン。
せきが止まりません。
まさしく風邪。

母は、しっかりと小児科に連れて行き、
薬をいただき、様子を見ておりました。

それから数日後の夜のこと。

事態は急変します。

ぐったりとし、浅い息をするカワムラ。
母は、どうしたものかと、おろおろするばかり。

こんなとき役に立つのは、おばあちゃんです。
この時期、母の実家に同居しておりましたので、
おばあちゃんがすぐにカワムラの元に、駆けつけてくれました。


「このままだと死ぬ!」


亀の甲より年の功。


おばあちゃんの一言で、叔父がたたき起こされました。
車に私、母、おばあちゃんを乗せ、田舎道をひた走りました。

やっと着いた、街の総合病院。
医師の声が、夜の診療室に響きます。


「何やってんですか! 
このままじゃ死にますよ!」



くしくも、おばあちゃんの意見と同じです。
要するにカワムラは、脱水症状で瀕死に近い状態だったというわけです。


即、点滴だ!……ということで、
その場でカワムラのくるぶしは切開されました。
赤ちゃんなんで、大人のようにひじの裏とはいかなかったのです。


翌日。
カワムラは死にかけの赤ちゃんから、病気中の赤ちゃんにまで回復しました。


その日。
父は打ちひしがれておりました。


母とおばあちゃんに囲まれ、怒号につぐ怒号を浴びていたのです。


「子供が死にかけていたのに、
飲んだくれていたなんて!」


父は昨夜、同僚といーー気分で飲み会でした。
朝帰りだったそうです。


その日から、私の病状は回復の一途を辿り、
父の立場は下降線を辿り続けたのは、いうまでもありません。



……それでは皆様、御身御大事に。






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2006年01月25日

【御身御大事に】カワムラの傷病歴〜1

皆様、はじめまして。
カワムラです。

さて、これから毎週水曜日。
カワムラの傷病歴をお話してまいります。
唐突に、時間は昭和40年に遡ります。


…………………………………………………………………………
【カルテ1】
生後一ヶ月→飢死寸前
…………………………………………………………………………

今日は母の胸に抱かれ、一ヶ月健診にまいりました。

母は緊張しておりました。
といいますのも、この子は実に育てにくい。
昼夜を問わず、泣きまくる。
何度乳首を含ませても、しばらくは吸うものの、
すぐに赤い顔をして泣き出すのです。

母はそれは立派な乳房を持っておりました。
その乳房を一日中出している状態で、
カワムラに授乳を続けてきたわけです。

それなのに、この子ときたら泣くばかり。

当時同居していた祖父母、叔父、叔母を含み、
一家全員の睡眠を妨害する新生児。
それがカワムラでした。

「虫が付いているのでは?」と、
お灸もすえましたが、効果なしです。


今日は、どうしたらこの子が泣き止むのか、
医師に相談したいと思っていた母でした。




果たして、健診。まずは体重測定です。
「ん???」
看護婦さんは首をひねり、何度も計りなおしました。
しかし、何度計りなおしても、体重計が示す数字は同じ。

急ぎカルテが医師に回されました。
医師は青ざめ、カワムラの体中を点検。
そしてハタと気づき、母に胸をあらわにするように命じます。

母は緊迫した空気に押され、胸を開いて医師の前へ。
医師は、母の乳首をぎゅっとつまみました。



……一滴の母乳も、絞れませんでした。



医師は告げます。


「お母さん、この子は普通なら一ヶ月で約1キロ体重が増えるところ、
100グラムしか増えていません。




…………この子は飢えています!




母は貧血を起こしそうになったそうです。


医師は、さらに続けます。

「母乳が出てないんですよ!
何で気づかなかったんですか?
ずっと泣いていませんでしたか?
このままだと、この子は飢え死にします。
今日からミルクにしてください!」


母は泣きべそかきながら、何度も何度もうなづいたそうです。



ちなみにこのとき、なぜか身長は5センチ伸びていました。
この栄養をどこから摂取したのか、いまだに謎です。



というわけで、カワムラの傷病歴がスタートしました。
いえ、スタートさせられました。


どうぞ皆様、御身御大切に。

posted by corpoスタッフ at 12:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 御身御大事に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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